「selfism」という名前に込められた意味。皆、もっともっと自己中でいいんじゃないか。


スポンサーリンク


発信を始めて1年が経とうとしている。

この1年間は目まぐるしく姿を変える周りの環境にただただ流され、時にはじき出されていた。

しかし、1年が経とうとしている今、ようやく地に足をつけて歩き出そうとしている。

「ざきたすブログ」というチープでダサい名前とはもうお別れ。

 

「selfism」に変えようと思った理由。

どんどん嫌いになる名前。

名付け所要時間5分。デザインの際重視したのは「趣味」と「好きな色」。ダサい。

名前を変えようと思ったきっかけは至ってシンプル、「ざきたすブログ」というダサい名前が嫌いになったから。

「selfism」という名前が完成するまでに1週間以上の日を要したのに対して、5分前後で付けた前のメディア名。

そりゃ、これから人生を共にする我が子に適当な名前を付けたらそうなる。完全に自業自得。

そんな感じでどんどん自分のメディア名が嫌いになっていった。

 

カメラを始めたことで変更は決定的に。

メディア名は嫌だったとしても、それに変わる案は見つからないまま日は流れた。

しかし、今年に入りカメラに出会ったことで自分の心境や考え方に変化が。

結果、カメラとの出会いがメディア名を変えるきっかけになった。

 

「selfism」のという名前は、「もっと自己中心的に生きてやる」という意思の表れ。

「人のために〜」という動機で始めた自分のメディア。しかし、日に日に疲れてしまう自分がいた。

それはそうだ。心の中では自分のことが1番大切だと思っていたし、自分の人生は自分のために生きたいと思っていた。

しかし、それを表に出すことは「後ろめたいこと」「人のために生きることが正しいこと」だと思って、それを隠して日々消耗していた。

そんな中出会ったカメラ。写真。

写真は何を隠そう、自分が思った事、自分が好きな瞬間を、自分が好きな形で残せる。

そこに「正解」や「間違い」といった概念はなかったし、自分の好きを自分勝手に表現しても誰にも非難されなかった。

むしろ、「いい写真」や「独特で素敵な世界観」と褒めてすらもらえた。

そんな環境で僕は自分の内に溜め込めていた「自分」を吐き出した。吐き出しまくった。

そうする事で自己肯定感が満たされ、創作意欲が再び湧いた。

そのサイクルはとても心地よく、自分に合ってる気がした。

そして、それと同時に、

「あれ?これって文章でも同じことが言えるんじゃないの?」

そう思った時には、新しいメディア名を真剣に考え始めていた。

 

「selfism」は、「self」と「ism」を掛け合わせた造語。

実は、これと似た意味合いの「meism」と言う言葉が存在している。意味は「自分本位」。

本来はそれでもいいかもしれない。でも違う。

既存の型にハマらずにもっともっと自己中心的に表現してもいい。

そんな強烈な想いを抱いて、「me」と言う単語をより利己的な「self」に変更。

かくして、「selfism」というメディア名が完成した。

 

ちなみに読み方は、本来「セルフ」と「イズム」を併せると「セルフイズム」。

しかし、どうも語呂が悪いので、より読みやすい「セルフィズム」に。

 

ロゴに込められた意味。

先ほどまでで、「selfism」という名前の意味を説明したが、実は続きがある。

それを語る上で不可欠なのがこのロゴ。

実はこのロゴには「自己中心は裏を返すと人のためになる」というメッセージが込められている。

ロゴは「カメラのマーク」を表しているが、よく見ると文字らしきものが見えると思う。

実はこれ、アルファベットの「s」と「i」を裏返したもの。

お気づきだと思うが、「s」と「i」は「self」と「ism」…すなわち「selfism」の頭文字。

つまり裏返しになった「selfism」という言葉がロゴに込められていると言うことになる。

これはどういうことかと言うと、「自己中心的な、自分のための表現も裏を返せば人の為に繋がる」ということ。

自分自身の気持ちを優先して「自分の好き」を表現した結果、人の心に触れ評価してもらえたという原体験から出来上がったロゴ。

名前だけではなく、このロゴにも深い意味が込められていたのだ。

 

ちなみにデザインもロゴ作成も自分。

デザイナーが見れば拙い作品かもしれないが、全く構わない。

なぜなら自分自身このロゴを心から気に入っているから。

(僕の意見を尊重してくれた上で改良してくれるデザイナーさんが居たら改良をお願いするかもしれないが)

 

もっと自分勝手に、自己中心的に発信してゆこう。

「人のために…」と自分をすり減らして発信を続けた僕がたどり着いた結論は、「自己中心的は人のためになる」という結論。

言うまでもなく最低限の倫理観は必要だけど、もっともっと皆自分のために生きるべきだと思う。

ただ、僕もそうだったように自分主体で生きるのが怖いと思う。

だからこそ、自分がもっともっと自己中に生きて結果を出していきたい。

おわり。

今日の一言

「ロゴ案思いつた時は『天才じゃね…?』って思いました」(23歳無職)



スポンサーリンク






コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です